2016年1月24日日曜日

アクティブ・ラーニングと基礎学力



「アクティブ・ラーニングは基礎学力の定着には向かない」という話をよくききます。しかし、それはナンセンスな指摘です。ことあるごとに繰り返し主張したいことですが、アクティブ・ラーニングは「考え方」です。「学びというものは本来主体的・能動的なものであるはずだ」という考え方です。

具体的には、「我々(大人)が日常生活の中で“学ぶ”ときにどのような行動をとっているか」を考え、それを教育活動に類比的に当てはめてみるといいのです。

たとえば、引越屋さんにとって、「重い荷物は腰を落として持つ」とか「段ボールは角を持つ」といったことは、基本中の基本でしょう。いわば引越業の「基礎学力」です。では、引越業者は、入って来た新人に、これらの基本事項をリストアップして一から十まで研修し、すべてを完璧にマスターしなければ現場に出られない、というようなシステムをとっているでしょうか。おそらく違いますね。そんなことをしていては、商売が成り立ちません(実情とかけ離れている場合はご指摘ください)

もちろん新人に対しては、作業現場で、「それ、重いから腰を落として持てよ」といった、先輩からある程度の声かけはあるでしょう。しかし、だいたいの場合、彼らは仕事をやるなかでいわゆる基礎基本を(文字通り)「身につける」のだと思います。逆に、基礎基本を頭で理屈として理解しているだけで、身についていない人は、現場では役に立たないわけです。

さらに重要なのは、「生き生きと仕事をしている人ほど、仕事の基礎基本ができている」という点です。これは、引越屋さんに限らず、あらゆる職種で言えることだろうと思います。そして、なぜ生き生きと仕事をできているかを考えると、それは「楽しいから」につきます。あるいは、現状は楽しくなくても、できるだけ楽しもうと努めているかどうか、が重要です。


では、小学生に九九を暗誦させることを例に、教科の「基礎基本」を定着させるためのアクティブ・ラーニングを考えてみましょう。アクティブ度(子どもの主体性をどの程度保障しているかいるか)ごとに3段階想定してみます。


<アクティブ度=高>

「全員が九九を暗誦できるようにしよう!」
これだけ言って、後は方法も含め、子ども集団に任せてしまう。

無責任な方法に思えるかもしれませんが、これができることが理想です。全員で方法を考え、目標を達成することの意義を語りつづけ、こうした自律的な集団を作り上げた実践例は全国にたくさんあります。

 この後挙げるアクティブ度「中」や「低」のアクティブ・ラーニングを行う場合でも、このアクティブ度「高」の状態を目指しているのだという自覚をもっておくべきだろうと思います。

 このスタイルの授業が成立している教室では、子どもたちは実に多様な「学び方」を自ら編み出しています。ペアになって「5の段!」「8の段!」といった具合にランダムに問題を出し合っている場合もありますし、「7の段は難しいから歌にして覚えよう!」とか「4の段で途中でつまったら4を足したら次の数字が出るよね!」といったように、個々の得意不得意に応じた作戦を考え出したりしています。教師は彼らの様子を笑顔で眺めているだけです。

 子どもたちは楽しんで学んでいるのです。いえ、学ぶことは本来楽しいものなのです。


<アクティブ度=中>

子どもが自ら学ぶ方法を創出することは、思い切って任せればそれほど困難なことではありません。しかし、長年一斉指導に慣れ親しんだ教師にとってはかなり勇気のいることです。ですので、ある程度「学び方」の選択肢を教師側が用意して、そこから選択させるようにします。

①ペアになって問題を出し合う
②3~5人のグループになって、2~9の数字が書かれた正八面体のさいころを振り、出た数字の段を皆で言う
③百ます計算のプリントをやる

 たとえばこのように3つ選択肢を設けておいて、「どの方法を使ってもいいから、とにかく全員が九九を覚えられるように!」と言います。こうすれば、子どもも教師も気持ちが楽です。そして、①~③以外の学び方を発見した子どもたちを見逃さないでください。それは、ハイレベルなアクティブ・ラーニングにステップアップするチャンスです。大いにほめ、選択肢に加えてあげましょう。


<アクティブ度=低>

 教師が用意したゲームを皆で楽しくやる、というパターンです。これがアクティブ度「低」に位置づけられることを意外に思われる方も多いかもしれませんが、上に挙げた二つと比べれば、学び方を選ぶという段階が欠落している分、「汎用的能力の育成」というアクティブ・ラーニング本来の目的からはやや遠いものとなります。

 ですので、この種のアクティブ・ラーニングは、行うとしたら授業開きや単元の最初などの導入として行い、「こんな風に楽しい仕組みで勉強したら、暗記の勉強も意外と楽しくみんなで乗り越えられるよね。こういう工夫が自分でできるようになろうね。」というメッセージであることを意識してください。教師がお膳立てするアクティブ・ラーニングを延々続けるのはあまりよいことではありません。

 その前提の下で、次のようなゲームはいかがでしょうか?

①全体が27のピースに分かれた塗り絵を用意する。
②それぞれのピースに「1△・1○・1◎」~「9△・9○・9◎」の記号がふってある。
③子どもたちは、各々がその絵を持って同級生のところへ行き、たとえば2の段を唱える。
④2の段が「まあまあOK」だったら「2△」、「ほとんどOK」だったら「2△」と「2○」、「カンペキ」だったら「2△」と「2○」と「2◎」のピースに色を塗ってもらえる。
⑤それぞれの段をそれぞれ異なる同級生に塗ってもらわなければならない。
⑥このようにして、全員が塗り絵を完成させることを目指す。

2016年1月19日火曜日

「学び」の両極端


 ある事態を整理して理解するためには、その事態の両極端を考えてみることが有益です。

アクティブ・ラーニングが「学び」の一種であるとすれば、「学び」の両極端を考えてみることによって、アクティブ・ラーニングの位置づけが見えてくるのではないでしょうか。

ここでは、一つの端を「内発的学習」と呼び、もう片方の端を「外発的教授」と呼びたいと思います。

これはある種の思考実験ですので、さしあたり、「学校」という制度自体をないものとして考える必要があります。学校というシステム自体が非常に強固な枠であることは、以下を読んでいただければよく分かると思います。



ではまず、学習者しかいない世界を想像してみてください。そして、その学習者は、あらゆる物事にとらわれません。「いつ学ぶか」「どこで学ぶか」「何を学ぶか」「誰と学ぶか」「どのように学ぶか」は学習者次第ですし、「学ぶかどうか」すら学習者の自由です。

なかなか想像すら困難な世界ですが、ここで学習が自動的に生じれば、これが究極の「内発的学習」です。最も狭い意味での「学び」と言ってよい。

しかし実際、私たちは自分の身体や周囲の環境によって、かなりの制限を受けた中で学ばざるをえません。「内発的学習」100%の状態は、私たちがモノにしばられる世界を生きている以上不可能であり、いわば仮想の状態です。


さて一方で、教授者が力ずくで学びを強要する世界を想像してみてください。これもなかなか想像自体が困難です。アメで釣ったりムチで脅したりして、無理やり学ばせようとしても、最終的には学習者が「学ぼう」と思わなければ(つまり内発的動機がなければ)学びは成立しませんので、100%「外発的教授」というのは、頭蓋骨を切開し、脳を電極で刺激するなどして、学習者の意志に関わりなく、知識を物理的に刻みつけるような状況です(そんなことが可能かどうかも分かりませんが)。したがって、これも実現不可能な仮想状態です。そして、こういう状況が仮にあるとしても、これはもはや「学び」とは言えないでしょう。

現実に「学び」として認識される営みは、全てこの両極端の中間に存在します(図の中で虹色のリボン(=任意の学習活動)を左右に動かすイメージをもってください)。




「内発的学習」を促すために、大人は子どもにいろいろなきっかけを与えます。面白そうな素材(教材)を目の前にちらつかせたり、笑顔で「学ぶことは楽しいよ」と言ってみたり。これは「外発的教授」の一種です。これらの外からの作用は、もちろん学びにとって有益であり、不可欠なものです。ただし、これらはあくまでも「内発的学習」を尊重しているからこそ有益なのであって、「外発的教授」の割合が高くなると(つまり虹色のリボンが右に寄りすぎると)、学習を阻害することになりかねません。

現在の多くの公教育の現場における「学び」は、虹色のリボンが右に大きく寄った状態です。外発的な要素が多すぎるのです。

①いつ学ぶか(行事予定・時間割)
②どこで学ぶか(学校施設)
③何を学ぶか(学習指導要領・教育課程)
④誰と学ぶか(指定されたグループでの活動)
⑤どのように学ぶか(一律の学習方法)


 これらの要素を、全て学習者の意向を反映させずに決めてきたのがこれまでの公教育の実態ではなかったでしょうか。これを、本来の「学び」の姿、つまり「内発的学習」の側に引き戻そうとするのが「アクティブ・ラーニング」の考え方なのです。

 大きく右側に偏った虹色のリボンを、少しずつ左側に寄せていきませんか、という発想です。

 時間割や教科書をすぐに撤廃するのは拙速としても、「全員が同じ時間で同じ学習内容を終えなければならない」という前提や、「グループ活動はグループの中だけで」という決まりごとは、そろそろ疑ってもよいのではないでしょうか。

2016年1月18日月曜日

センター試験を用いたアクティブ・ラーニング(理系科目編)



 センター試験の全日程が無事終了しました。2日目は理系の日ということで、センター試験の理系科目の問題を用いたアクティブ・ラーニングの課題例を今回も2パターン提案してみたいと思います。

 重要なことは、アクティブ・ラーニングは方法ではなく、考え方だということ。課題の具体的なイメージをもっていただくためには、ここに挙げるような特定の方法を紹介するほかないわけですが、お読みいただく際には、その背景にある考え方=「知識・技能と同時に汎用的能力(倫理的・社会的能力)を身につけることを目指す」を意識していただきたいと思います。そうすれば、これらの課題をヒントとして、それぞれの子ども集団に合わせた課題が作れるのではないでしょうか。

 今回ご紹介するのは、普段教師がやっているような「分かりやすい」説明を子どもに挑戦させる課題です。なかなか分かってくれない子どもに図やジェスチャーを駆使して説明するとき、その学習内容に関する教師の理解度は飛躍的に上がっています(教師ならば誰でも経験することです)。そしてもちろんコミュニケーション能力も。ぜひともそれを子ども一人一人に体験させたいのです。


<数学Ⅰ・A 第2問〔1〕>
三角形と外接円を題材とした三角比の問題。動く点Pを明確にイメージできるかどうかが鍵となる。

【課題】
この問題を分かりやすく解説するための図とメモ書きを準備しなさい(10分)。数学の先生になったつもりで、3人の同級生に解説しなさい。生徒役に回った人は、解説をよく聞き、分かりにくいところは遠慮なく指摘しなさい。解説は、1人目に対してよりも2人目、3人目と進むにつれてよりスムーズに、より分かりやすくならなければいけません。必ず全員が、時間内に3人に対して解説を終えられるように、積極的に生徒役も買って出なさい(30分)。


<化学・第3問・問4,問5>
周期表に関する問題およびイオンを分離する実験に関する問題。

【課題】
これら問題の誤肢がなぜ誤りなのか分かりやすく解説するための方法を考えて、簡単にまとめなさい(10分)。理科の先生になったつもりで、3人の同級生に解説しなさい。生徒役に回った人は、解説をよく聞き、分かりにくいところは遠慮なく指摘しなさい。解説は、1人目に対してよりも2人目、3人目と進むにつれてよりスムーズに、より分かりやすくならなければいけません。必ず全員が、時間内に3人に対して解説を終えられるように、積極的に生徒役も買って出なさい(30分)。